はじめまして!
「Okinawa Real Guide」管理人のやーすー(@Yasuyuki0104)です!!
このページでは、僕の略歴や考え方、このサイトを運営しようと思った理由などを書いていきます。
読者の皆さんに僕のことを知ってもらい、サイトに興味を持つキッカケになってくれたらな、と思っています!
少し長くなりますが、良ければ最後まで見てやってください!!

■サクッと読むための見出し
やーすーの略歴
5人兄弟の長男として池間家に生まれる
やーすーは1996年1月4日生まれの21歳。
生まれたときから現在に至るまでずっと沖縄で暮らしているので、沖縄歴は今年で21年になります!かなりの沖縄ベテラン!!笑
兄弟はなんと5人。そして僕は5人兄弟の一番上、リーダー兼長男です(^O^)/
沖縄は他の県に比べても兄弟の数が多い方だと思うけど、その中でも5人兄弟はかなり多い方になるんじゃないかな?毎日騒がしいお家で慌ただしく生活しております!
- 父:一家をまとめる大黒柱。お酒を飲むとかなり優しくなるのが特徴。笑
- 母:自分のことは後回し。常に子供のことを優先する優しいお母さん。ときに優しく、ときに厳しいアメとムチの使い手
- やーすー:やるときはやる。頼りがいのあるイイ男。←自分で言うな
- 長女:母に似て力強い女の子。決断力があり、いろんなことにチャレンジしている
- 次男:兄弟で一番優しいイケメン。身長は小さめ。
- 三男:パソコンやら機械やらに詳しい。勉強はキライ。ガチゲーマー。
- 次女:やーすーが中学2年のときに生まれたので、14歳も年がはなれた末っ子。まじで可愛い。池間家のアイドル
なんか、改めて書いてみるとすごいですね。
人の多さもそうですけど、同じ家で生活していても、それぞれに個性があって性格も全然違うのが面白い!
かなりにぎやかなお家です。気になる人は遊びに来てください(*´∀`)笑
ハンドルネーム【やーすー】の由来
友達にやーすーとよばれているので、それをそのまま使いました。

人生で最初の試練は、幼稚園時代の転校
僕にとっての人生最初の試練は、幼稚園生のときに転校を経験したことですかね。
あれは本当にビックリしちゃったんですけど、夏休みが終わって新学期が始まると同時に、通う学校が変わっていたんです。知らない間に転校してた、みたいな。笑
両親から急に、「今日からここがあなたの学校よ」的なこと言われて、わけも分からないまま新しい幼稚園に通うことに。
「ちょっと待ってよ!転校するなんて聞いてないし、友達にも転校するって言ってないからまだバイバイもしてないし、新しい幼稚園に行っても友達もいないし、、、もうイヤ!!!」
↑こんな感じでかなりダダこねて、最初の方は泣きながら幼稚園に通っていた記憶があります。笑
結局のところ、すぐに友達もできてバラ色の幼稚園生活を謳歌してたわけなんですけどね。
ただ、急な転校を経験して良かったこともあった。
今考えると、右も左も分からない、誰も知らない場所で友達もいない学校にポイッと投げ込まれたことで、自分から誰かに話しかけたり知らない人と友達になる能力がついたのではないかと思います。
物怖じしない性格になれたし、コミュニケーション能力が人より少し高くなれたのも、この経験のおかげですかね!
大人になってから両親に話を聞くと、兄弟も増えて少しお家が狭くなっていたので、新しいお家を探していたときにちょうどいい物件が見つかって引っ越すことにしたらしいです。
これが僕にとっての人生最初の試練、幼稚園時代の転校騒動一連の流れですね。まあ、今となってはいい思い出ですけど!

サッカーに明け暮れた高校時代。3年間で人間として大きく成長する
僕の高校時代は、サッカー一色でした。
小学校六年生のときに友達に誘われてサッカーを始めた僕は、中学校でも三年間サッカー部に所属していました。当然、サッカー部の友達とは仲が良く、部活がある日でも無い日でも毎日のように一緒にいましたね。
しかし、進学先はバラバラでそれぞれ違う高校に進学。そんな中、とても運が良いことに一番仲の良かった僕の親友とは同じ高校に。
最初僕は、高校でサッカー部に入る気がなかったのですが、その親友はやる気満々で。親友に取り残されるのはイヤだったので仕方なく僕もサッカー部に入学することにしました。
まあいっか、高校でも楽しくゆるい感じで、サッカーやるのもありかな〜なんて考えながら。
進学先の高校がまさかのサッカー強豪校
そしたらですよ、なんとビックリ僕の高校は県内では有名なサッカー強豪校だったんです。←サッカー部のくせにそんなことも知らなかったヤツ。笑
当たり前ですが、練習はもう鬼のようにキツかったです。監督は厳しい指導で有名な人だったので、毎日のように怒鳴られて、泣きそうになりながらもハードな練習をこなしていました。
部員数もかなり多く、一番多いときには100名を超えていたので、試合に出られるのはほんの一握り。サッカーは11人でやるスポーツなので、ひとつのポジションをだいたい10人で争う計算です。かなりの競争率ですよね。
友達が入るから、というなんともやる気のない理由で入部した僕。
毎日のきつい練習はやる気がない人間にとってかなりツラく、なんでこんなことしなければならないんだろう、こんなに人がたくさんいるから頑張っていても試合に出られるかすら分からないし、、、と、こんなことばかり考えていましたね。
それでも、毎日のきつい練習に弱音を吐くことなく、チームを盛り上げながら引っ張ってくれるカッコいい先輩たち、それに負けじと食らいついていく同級生のチームメイトを見ているうちに、いつの間にか僕もその世界に引き込まれていきました。
僕も頑張ろう。周りのみんなに負けたくない!自分もいつか試合に出て活躍したい!!気づいた時にはこう思えるようになっていました。
気持ちを切り替えてからは、サッカーと本気で向き合い、きつい練習でも手を抜くことなく必死に頑張りました。
2年生のときに初のメンバー入り
その努力が報われたのか、なんと2年生のときにひとつ上の先輩の時代にメンバー入りを果たし、インターハイに出場することが出来ました。
初めてもらった背番号は13。試合前に初めてユニフォームに袖を通した瞬間のことは今でも鮮明に覚えています。あの喜びは一生忘れられないです。
さらに、1試合だけですがフル出場で試合にも出してもらうことができました。
100名近い応援団の地鳴りのような大歓声を受けながら試合に出るのは本当に鳥肌モノで、圧巻でした。楽しくて楽しくて、あっという間の時間でしたね!
3年生になってチームを引っ張る立場に
その後、僕が三年生になった時には副キャプテンに任命され、中心メンバーとしてチームを引っ張る立場になりました。
1年生のころに憧れていたカッコよい先輩たちのような背中を、僕は後輩たちに見せられていたのだろうか、、、?そう願いたいですね!笑
この三年間で、僕は人間としてかなり大きく成長出来ました。
- 毎日のきつい練習に耐え抜く忍耐力、継続力。
- どんなに強い相手でも絶対に負けない、という諦めない心、負けん気。
- チームを引っ張る立場になった事によって、チームをまとめる力や責任感。
他にも、数え切れないほどたくさんのことを学ばせてもらったので、高校でサッカー部に入って本当に良かったと思っています。
厳しく指導してくれた監督、コーチ陣をはじめ、試合があるたびに送迎してくれてお弁当も持たせてくれた両親、毎試合応援にかけつけて下さった父母の方々など、サッカーを応援してくださったすべての人々には本当に感謝しています。
そして何より、僕がサッカーを通して得たものの中で一番大きなものは、間違いなく三年間一緒に戦ったチームメイトです。
彼らとは、本当に多くの時間を共にし、多くの試練を乗り越えてきました。これから先もずっと、死ぬまで仲良しでいることでしょう!な?そうだよな!みんな!!笑

一年間の浪人生活の末、琉球大学に合格
僕は、高校を卒業してから一年間の間、浪人生として大学受験のために勉強していました。
先程の高校サッカー時代の話を読んだ人ならもうお分かりだとは思いますが、高校生の頃の僕は、毎日サッカーをするためだけに生きていたようなものなので、勉強はほとんどしていなかったんですよね。笑
サッカーは朝練は無かったものの、僕の高校では1校時の前に0校時というものが存在していて、毎日7時半には登校しなければなりませんでした。
自宅から高校まではバスで1時間というなかなか遠い場所に住んでいたので、バスに乗る時間(AM6:30)から逆算すると、起床時間は5時半。まじで朝早い!
部活が終わって家に着くのが毎日夜の10時半頃だったので、それからお風呂に入って携帯触って、、、なんやかんやで気付いたらAM1:00みたいな生活を送っていたので、ほとんど毎日、睡眠不足で学校に通っていました。
部活まで体力を温存するために、授業中はほとんど寝て過ごしていましたね。。。先生方、申し訳ございませんでした。反省していますm(_ _;)m
高校3年の12月から受験勉強開始
サッカーは12月頃に最後の大会があるので、高校三年生の12月まではそんな生活を続けていた僕。センター試験は1月に実施されるので、僕が現役生のときに勉強したのはたったの1ヶ月!
激動のサッカー生活を終えたあとの僕は完全燃焼してしまっていたので勉強にもあまり身が入らず、、、そんなんでもちろん受かるわけもなく、大学受験は失敗。
でもやっぱり、大学には行きたかった
それなら専門学校に行こうか、それとも働こうかといろいろ迷いましたが、やっぱり大学に行きたいということで両親にお願いしてみたものの、かなり怒られました。遊び呆けていたやつが悪い、ふざけるのも大概にせい、と。当然ですよね。
さんざん怒られながらも、引き下がることなくえんえん泣きながらお願いすると、「自分で塾代を稼いで勝手に浪人するなら許してやろう。」とのこと。
そういうわけで、周りの友達が朝から夜まで一日中勉強に励む中、僕は午前中にバイトして、午後から塾に通う。塾代は自分のバイト代から払う、という浪人生活を送ることになったのです。
あの時は、周りの友達にかなり嫉妬しましたね。「親のお金で塾に通えるなんて、なんて幸せ者なんだ!俺なんて、勉強したくてもまず働かないと勉強が出来ないんだぞ!」なんて思ってました。
その頃は、毎日かなりキツかったです。バイトで疲れたあとに勉強もしなければならない、みたいな。
運命の合格発表
それでも、自分で選んだ道だからと必死に働き、頑張って勉強していたことが報われて、無事に琉球大学に合格することができました。
合格発表はドキドキでしたが、合格が分かった瞬間は、喜びより開放感がすごかったです。「やっとこの忙しい生活から開放される」って。笑
国立大学の中で琉球大学はかなり偏差値が低い方ですが、高校三年間全く勉強しなかったにはギリギリのラインでしたね。
兄弟も5人いるので、私立大に比べて学費が安い国立大に合格できたのは良かったと思います。
浪人して良かった
よく、浪人しないほうがいいなんて話を聞いたりしますが、僕は浪人して良かったと思っています。
勉強できる、ということが当たり前じゃないことに気づけたし、自分でお金を稼ぐ経験をしたことによってお金の大切さも学ぶことができました。
何より、自分の進路について深く考える時間があったのが良かったと。
もちろん浪人するよりは現役で合格出来たほうが良いですが、もし浪人してより偏差値の高い志望校を目指そうか迷っている人がいるのなら、浪人も悪くないよ、とは言えます。
迷っている人は参考にしていただければ。

Okinawa Real Guideを作ろうと思った理由
僕がこのサイトを作ろうと思ったのには3つの理由があります。
①本当の沖縄の姿、魅力をもっとたくさんの人に知ってほしかったから
僕は生まれ育ったここ沖縄が大好きです。
- 沖縄には、世界に誇れる綺麗な海があります。
- 沖縄には、琉球王朝の時代から続く独自の文化があります。
- 沖縄には、他の県とは一風違った美味しい食べ物があります。
- 沖縄には、ここに書ききれないほど、もっともっとたくさんの魅力があります。
そんな沖縄の魅力を、世界中の人に知ってほしい。沖縄をもっと盛り上げたい。
そういう思いがあって、ここ沖縄の本当の姿、沖縄のリアルを発信するサイトを作ろうと思いました。
「Okinawa Real Guide」という名前の由来は、僕のこの思いからきています。
②スマホ時代のこの世の中に向けて、片手で簡単に沖縄情報を検索できる観光情報サイトを作りたかった
沖縄には毎年、世界中から沢山の人が観光に訪れます。
もちろん、沖縄に来るまでに色々と下調べをしてくるとは思いますし、皆さんがご存知のメジャーな沖縄の観光スポットは自信を持ってオススメできます。
それでも、実際に沖縄に住んでいる僕からしてみると、沖縄に遊びに来る皆さんには観光情報誌などには載っていないもっとディープな沖縄を知ってほしいし、もっとたくさん行ってほしいところがあります。
このサイトを通して、地元の人しか知らない隠れスポットからメジャーな観光スポットまで幅広い沖縄情報を知り、皆さんにはスマホ片手に、沖縄旅行をもっと楽しく、もっと充実したものにして欲しいと思っています。
③情報発信力をつけたかった
僕は情報発信力を身につける練習として、まずは自分の一番身近にある、ここ沖縄の情報を発信していきたいと思いました。
『自分の考えていることを相手に伝える。』
これは一見簡単に感じますが、実はすごく難しいことだと思います。このサイト運営を通して情報発信力、伝える力が少しでも身につけばいいなと思っています。
おわりに
最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました!!
僕という人間を少しでも知ってほしくて、伝えたいことが多すぎてかなり長くなってしまいました。←本当に長すぎ(・∀・)
こんなにプロフィールが長い人って他にいるのかな?いたとしても、いなかったとしても、僕は僕です!自分を持ってブレずにやっていこうかと思います。
それでは、僕のプロフィールはこれでおわり。
みなさんにとって有益な情報を発信できるように頑張っていくので、応援よろしくお願いします!!
